職員インタビュー

INTERVIEW

“地域を大切にし、人を育てる会社”

慶生会諸福ケアプランセンター
ケアマネジャー
入社19年目 (居宅事業部として12年)
原園さん

介護職を志したきっかけは?

両親が共働きであった事で幼少期の育ての親は近隣に住む父方の祖母と親族でした。私が中学~高校時分に認知症状が徐々に見られ、同居して介護する話が出ました。結果的には同居はしませんでしたが、何か出来る事は無いかと考えた事がきっかけです。幼児教育を学んでいた専門学校に、介護福祉士の資格が取れるコースがあったので進学しました。

仕事で大変なことは何ですか?またどのように乗り越えましたか?

特別養護老人ホームのアルバイトが始まりですが、今まで自分が見てきた祖父母や学校で習う内容ではない、「リアルな認知症高齢者」の対応に困惑しました。参考書や諸先輩方の指導も頂きましたが、中には自身の介護として受け容れ出来ない対応や考えもありました。何が正解か分からない、そんな思いの中でする業務に疲れ、表情や対応にも現れていた事は苦い記憶です。そんな中、上長や先輩職員、施設内の多職種の方に色々な著書(「笑う介護士の~」等)を紹介され、研修を受講し、利用者様との「時間」の大切さを意識するようになりました。自分が関われる時間はお互いの人生でほんの僅か。それなら、関わる中で少しでも多く笑顔を引き出して見せられる時間を、という想いで仕事に向き合う事で、ネガティブな感情が「楽しい」に変わりました。現在のケアマネジャーの仕事においても、軸としては変わっておらず、利用者様ご本人、ご家族が笑顔で過ごせる時間が増える様、自分も笑顔になれる様に心掛けています。

仕事のやりがいを教えてください

これは有名な方(三好春樹さん)が著書や研修の中で仰っている事ですが、介護の3Kで集約されます。感動・健康・工夫の3Kです。気になる方は調べてみてください。施設でも在宅でも顧客は「人」の為、誰一人として同じ型にハマる事はありません。難しい面でもありますが、相手のニーズにマッチした介助や支援が提供できた時の喜び、躓いた時の苦しみの様に、その方の生活に伴走出来る事でしょうか。笑顔とは少し違いますが、忘れられないエピソードがあります。ケアマネジャーとして2年目、高齢の親を持病を抱えた娘が介護するというケースを担当しました。介護する、とはいっても専門的な知識はなく自己流の出来る範囲のみ、声掛けもともすれば暴言に近い事もあったかもしれません。福祉用具、看護師やリハビリの協力を得ながら在宅生活を支援していましたが、入院後ご逝去。弔問時に掛けて頂いた言葉が忘れられません。今までの介護への労いとお礼を伝えした娘様のご返答が、「君は自分でも言うけど、若くてきっと未熟なんだろうね。でもね、私にとってはすごく大切でした。あなたに逢えて良かった。有難う。今度お酒でも飲もうか、ダメ?(笑)」。情けなくもその場で泣いてしまった事、その姿を見てご家族が泣いてしまった事、今も鮮明に覚えています。全てが同じような支援が出来る訳ではありません。その言葉が欲しい訳ではありませんが、その様な出会いになれる事は心掛けています。

慶生会の魅力は何ですか?

多くあると思いますが、地域を大切にする風土が一つだと思います。事業所のある地域住民との協働、地域行事への積極的な協力は当然という教育を受けてきました。フルメニューのサービスを運営している事も魅力です。施設も特養や有料、グループホームと種類も多く、在宅サービスは訪問入浴介護以外はすべてのサービスがあります。求められて異動する事は重要だと思いますが、個々が興味のある部署への配置転換について希望を伝え、実現可能である事。介護の仕事の内容や求められる技能も違う為、研修や資格取得の為の費用負担や業務調整等、人を育てる法人だと思います。

現在のお仕事内容はなんですか?

在宅のケアマネジャーとして、担当利用者様や家族が「その人らしい生活」が送れる様に相談や支援の提供をしています。また、組織としては大東市エリアチーフという役職に就き、事務所内外の調整や事業所管理を任されています。その他には、外部の職能団体(居宅事業者連絡会)の運営や医療と介護の連携推進協議会にも参加し、横のつながりを構築できる様に意識しています。

ケアマネになるまでの過程/役職/資格取得等

入職前に、専門学校からの紹介でアルバイトとして、特別養護老人ホームでは主には間接業務を担当。翌年に正職員として入職。施設勤務は7年半。2年目に新入職員の指導を担当、4年目でフロアチーフ、(アルバイトの実務期間があり)ケアマネジャー資格取得。8年目~ケアマネジャーとして勤務し半年後に管理者となる。所属事業所の異動を伴いながら主任介護支援専門員を取得、10年目にサブチーフ。11年目、ケアマネジャー兼任で入居事業部へチーフとして異動(当時:住宅型有料老人ホーム)し3年半勤務。15年目、大阪市エリアチーフとして居宅事業部に異動、16年目に大東市エリアチーフとして異動。19年目・20年目は大阪市との行き来があり、現在、大東市エリア居宅事業部チーフ。

ケアマネになるまでの過程で、成長したと感じる部分は?

自分の言動と他者との関わり方を振り返る習慣、だと感じています。言うに及ばずですが、連携する事の大切さ、継続する事の難しさを日々実感しています。在宅ケアマネジャーとなって、特養勤務では見えてこなかった、競合他社や地域住民から見た「慶生会」を知る事になります。良くも悪くも、それが連携する上でのハードルになる事もあります。現在は、日々の関わりは勿論の事、通勤時の服装・言動や人の噂は、全て法人のイメージになるという認識をもっています。たった一度きりでも、私個人の言動が、その後の慶生会にとって良くも悪くも影響する。良い印象で無ければ業務や成果に支障を来す、となれば責任は重大です。諸先輩方にはまだまだだと叱られるかもしれませんが、法人職員としての意識が習慣化されてくると、自分の言動を振り返り、必要時には修正が出来るようになってきている、と感じています。